(うつ病体験談)32歳男性 会社経営(前編)

2015年 3月 23日

体験者プロフィール
広瀬眞之介
株式会社小石川 代表取締役
事業創造コンサルタント/メンタルトレーナー
http://maccoto.com/
「カウンセリング・クリエイト・コミュニティ」の”3つのC”を使い、事業創造・起業家育成・メンタルヘルス復職支援を行う。
2009年、ソーシャルメディア上でお米を売る「トラ男」アドバイザー。
2011年、“猫のいる”協働オフィス「初代ネコワーキング」を開設。
2013年、うつ病の周囲の人に向けた相談サービス「Qyour」の開発サポートなど、
イノベーティブなコンセプト/サービスづくりの実績多数。
「起業家を育てる研修」が”心を病んだ人や”にも効いたことから以後、起業家育成からメンタルヘルス復職支援まで行う。最新事業は「研修用
うつ病体感カードゲーム “ウツ会議”」。

自分の大切な人がうつ病になった方に(たくさんあるなかでも)一つだけアドバイスするとすれば、「よくある。よくある。それは特殊な状況ではない。」という事です。周りがうつ病を大事化すると本人は相談できなくなってしまいます。よく、うつ病の人に対しては「そっとしておいた方がよい」と言われますが、気づいている事は伝えてもいいし、ご自身がしんどかったら理解ある周りの方にこれを伝えても良いと僕は思います。そういう考えもこれから書く僕自身のうつ病の経験から生まれています。

 

僕がうつ病と診断されたのは21歳(大学4年)の時です。当時の彼女(いまの妻)、が「あなたたぶんうつ病だから」と大学にあるカウンセリング施設に引っ張って行かれました。自分はうつ病じゃないと思っていました。思っているくせにうつ病ってどんな病気かも良くわかっていませんでした。僕の話を聞いたカウンセラーの方は「医師だから診断は出来ないけど、相当高い確率でうつ病だと思う」とおっしゃったので、病院に行って正式に診断を受け、服薬治療が始まりました。
彼女からおかしいと言われた時は、腸から出血したり、ずっと下痢で動けなかったり、待ち合わせがあって、行かなきゃいけないと思っても布団から出られず約束の時間に行けない、思考能力が著しく落ちるといった事がありましたので確かにおかしかったのです。

 

診断を受けて10年のうちに3回再発を経験しました。今は起業して新規事業作り、コミュニティ作り、メンタルヘルスの研修などの事業を行っています。振り返ってみると、たまたま必要なタイミングで必要なリハビリができる環境を周りが作ってくれたことで今に至っているなあと思います。これまでの間、僕にとっていくつかのキーポイントだった出来事を振り返ってみたいと思います。

 

① 一度目の再発

うつ病の診断を受けて、服薬を始めました。当時は大学生でしたが、体調不良から規則的な生活を送ることに困難を感じていて、このまま就職して会社生活を送るのは難しいと判断しました。また、僕は将来地域活性の仕事をしたいと思っていて、たまたまこの時ITと起業の両方を教える大学院が開学。しかも夜学だということで、これなら自分の今の体調でも何とかなるかもと思い、入学しました。
出来たばかりの大学院は何もかもが未整備でした。だから同期で様々な仕組みを自ら作るなどして精力的に活動していました。先生も起業家の人がほとんどで、起業を目指す自分としてはとても楽しかったです。大学院中は上がったり下がったりを繰り返しながら、徐々に回復する傾向にありました。ただ、社会人生活を送れるのか?という不安は中々払拭できませんでした。修了間近に大学院の社長の取り計らいで、ベンチャー企業の社長に事業プレゼンをすることになりました。その内容自体は却下されたものの、近い事業に参画させてもらえることになりました。これは非常にありがたかったです。

 

でも、仕事がうまくいかず、体調も悪くなって25歳の時にうつ病を再発し、会社を退職しました。当時は自分がやるべきと思っている正義と現実の折り合いが付けられず、やるべきことをできなかった、そこから逃げたのだと思います。当時は自分みたいなクズ人間なんて死んだらいいと思っていました。その会社の方々や社長には大変申し訳無い気持ちでいっぱいです。

② 実家を出ることでニートからヒモに

再発して2~3か月は毎日一日中ベッドの中で横になってばかりで、起き上がるのはトイレに行くときだけという状態でした。

 

わずかでも回復すると、ベッドの中ばかりにいる事にだんだん飽きてきます。そこで、料理でもしようかと思い立ちました。当時、実家に住んでいたのですが、母は僕が台所に入るのを嫌がりました。母にとっては台所が自分の城みたいなもので他の人に荒らされたくはなかったのです。そこで、自分の彼女が家事下手なのを思い出し、彼女のところなら料理をさせてもらえると思い、転がりこみました。家にいさせてもらう代わりに、料理や掃除などの家事をするといういわゆる「ヒモ」になる約束だったのですが、当初はその約束すらも守れず、仕事に行く彼女を布団の中からお見送り、お出迎えも布団の中から、ご飯も用意してもらうという感じでした。

 

やがて少し動けるようになったときにこまったのは「買い物に行くのが怖い」ということです。自分で自分の事をクズ人間だと思いつつ、他の人にクズ人間と認定されるのが嫌だったのです。レジの後ろに並んでいる人に「チッ」と言われると、クズ人間のレッテルを貼られるような気がして混んでいるレジに並ぶことができませんでした。レジで後ろに並んでいる人がいる時は待たせないようにバーコードが全部見えるように商品を全部裏返してならべたりしていました。

 

自分の意見が認められない事も苦痛で、一番ひどかった時は彼女に対して訳のわからない言いがかりを吹っ掛けていました。彼女が冷静に話をしてくれても自分自身の非をなかなか認められない。認めることイコール自分の価値がないと認定することにおもえたからです。それでも自分の間違いを認めざるを得ない時には包丁をとりだして手首を切り始めるといったこともありました。ありがたいことに彼女はそれを泣きながら止めてくれました。そんな事を何度かやっても、いつまで経っても捨てない彼女のお陰で私はやっと自身が死ぬ必要がないことを認められるようになりました。

 

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