(うつ病体験談)35歳 男性 外資医療機器セールスマネジャー

2014年 4月 21日

1. ご本人のプロフィール

35歳男性 独身
職業:外資医療機器セールスマネジャー
発症時期:2011年10月(32歳の時)
発症後、すぐに退職。
療養を経て2012年4月再就職

2. ご自分の異変に気付いたきっかけは何でしたか?

もともと外資系医療機器販売会社でセールスの仕事をしていました。仕事は順調でやりがいもあったのですが、将来は成長市場である中国で起業して成功したいという想いがあって、それならまず中国で仕事をしてみようと知り合いの社長に中国・深センに拠点を持っている日本企業を紹介してもらい、転職。営業部長として赴任しました。
中国人の部下が8人ついて、彼らも自分を慕ってくれ、人間関係も良好な中、赴任して3〜4か月は将来への希望に満ちていて精力的に仕事をしていました。
異変を感じたのは、赴任して5か月目の2011年9月末でした。ある日突然、夜、寝ようと横になると咳が止まらなくなり、なかなか眠りにつけない状態になりました。寝ても夜中に3回も4回も目が覚める、場合によっては全く眠れない。それが週に何回というレベルではなく毎日のように続きました。ですが、不思議と仕事が休みの日にはそういうことはなかったです。
実は赴任して少し経った時に咳が止まらなくなったことがありました。その時は医師に気管支ぜんそくと診断され、処方された薬を飲んだら止まりました。その症状が再発したのかと思ったのですが、今度は全く咳の薬が効かなかったのです。

3.その時、どんな気持ちでしたか?焦りみたいなものはありましたか?

そんな毎日が続いていくと、今度は徐々に気持ちがそわそわし、落ち着かなくなりました。起業を実現するために、早く結果を出さなければならないという焦りのような気持ちです。学生の頃、アメフトをやっていたのですが、自分のポジションには上手い先輩がいて、いつも比較され、自分が試合で結果を出してもなかなかレギュラーになれないという経験をしました。この経験から芽生えた社会に出たら結果を出したいという人一倍強い思いがその焦りになおさら拍車をかけたように思います。自分は、この転職になかなか同意を得られなかった妻と離婚して一人で赴任してきました。中国語も話せません。年収も以前の半分しかなく、部下との関係は良好でしたが、社長とはそりが合わず、鬱積していたものが一気に噴き出したという感じでした。自分は今まで築き上げて来たいろんなものを失ったのではないか、それまでは自分はできる、大丈夫、周りにもそう強がっていた鎧がはきとられていくような感覚に陥り、自分だめかも。。。と思うようになりました。
深センでは高層マンションの24階に住んでいたのですが、異変に気づいて約半月後、会社が休みの日曜日に窓から街のネオンを眺めていたら、突然「飛び降りてしまおうか」という衝動に突き動かされました。その一方でもう一人の自分が「そんなことをしてはいけない!」と引き留める、自分の中に人格が二つあるような感じになって、それが1日の中で何度も繰り返され、窓際にあるソファに飛びおりないようしがみついた状態で1日が過ぎていきました。今でもこの時のことは鮮明に覚えていて、思い出すだけでもぞっとします。

4.その後、どうされたのですか?

これは本当にヤバいと思って、日本にいる友人に電話をして、今すぐここから飛び降りてしまいたいと思っていることを伝えました。友人はびっくりして、すぐ病院に行くようにと言いました。翌日、会社には咳が止まらないということを理由にして、会社の人に付き添ってもらって日本語の通じる香港の病院に行きました。病院では中程度のうつ病と診断され、明日にでもすぐ日本に帰るように言われました。

5. うつ病と診断された時、どんな事を考えましたか?

正直ほっとしました。でもほっとしたのが50%、残りの50%はやってしまった、負けてしまった、情けないという思いでした。後は実家に戻るしかなかったのですが、見栄を張って出てきているので親に顔を合わせられないなという思いがありました。父は大変厳しい人だったので。付き添ってきてくれた会社の人は診断を隣で聞いて、自分を一人にしておくのはまずいという事で一緒に荷造りを手伝ってもらい、ホテルに連れていかれ、すぐに日本に戻る飛行機に乗せられました。

6.仕事はどうされたのですか?

落ち着いたらすぐに復帰しようと最初は考えていました。ですが、自分の母もうつ病を患っていたことがあり、その様子を子供の頃間近で見ていて、1日2日で簡単に治る病気ではないという印象がありました。だから、しばらく休んだ方が良いと思い、退職しました。実家に戻ってきた時、父に何を言われるかと気がかりだったのですが、「死なずに帰ってきてくれてほっとした」と言って温かく迎えてもらえてうれしかったことを覚えています。そういってもらえるとは思わなかったので。父も母の闘病経験からどう対応したらいいか分かっていたのではないでしょうか。厳しい言葉をかけられてすぐに仕事に戻っていたらこんなに早く回復することはなかったのではと感じています。

7.今振り返るとうつ病のきっかけは何だったと思いますか。

最初は中国にいっても仕事もプライベートもうまくやれると思っていました。ですが、離婚、転職、言葉の通じない海外への引っ越しなどのさまざまな変化に耐えきれなかったのではないかと思います。特に離婚して家族を失ったこと、いざという時に自分の戻る場所をなくした事の影響が大きかったと感じています。

8.退職後はどのような毎日を過ごされていたのですか?

日本に戻ってきて、咳が止まらないのは治ったものの、眠れないという状態がずっと続いていて、1か月はずっと布団をかぶって泣いていました。今まで仕事でも認められていて、プライベートも順調だったのに、 離婚なんかしなければよかった、失敗して恥ずかしい、自分の存在を皆の記憶から消してしまいたいと毎日考えていました。この時はこの状態をなんとかしようとは考えもしなかったです。将来に対する希望はゼロ。田舎の山奥でこのまま結婚もせず一生を過ごすのだと絶望的な気持ちでいました。あと、失ったもの、特に前妻への執着は強かったですね。それでも会ってくれたのは救いでした。

その状態に変化が出たのが日本に戻って1か月ちょっと過ぎた2011年11月の後半です。実家は農家で毎年干し柿づくりをしていて、ちょうど作業の始まる時期でした。父に「ちょっとやってみるか?」と声をかけられ、することもなかったので地元のシルバー人材センターの方々と一緒に週に1.2回作業をするようになりました。あと、仕事と並行してやっていた経営大学院の勉強も、これだけはやっておかないとと再開しました。ずっと悪かった体調がこの頃から時々仕事ができるかも?と思えるくらい良い状態になる時も出てきました。でも気持ちは常に絶望していました。

体だけではなく、気持ちの変化も出てきたのが、年明けの2012年の2月末です。このまま悶々としていても何も変わらないと、ふと語学留学でもしてみようかという気持ちになり、父にもいいんじゃないかと背中を押されて、まず、フィリピンに2週間、その後サンフランシスコに半年というプランを立てて、まずはフィリピンに行きました。ところが1週間で帰ってきてしまいました。出発の時は体調も気分も良かったのですが、そわそわして、気が散って集中できない。攻撃的になって、人に会いたくないという状態になって精神的にしんどくなってしまったのです。
フィリピンから一週間で帰ってきた時、父にはまあ、ゆっくりすればいい、友人にはそんなに焦らなくていいんじゃない?と言われました。その時、自分は今まで、ゴールを決めたらそこにまっしぐらの猪突猛進タイプで物事を達成してきたのですが、ゴールに向けて一歩づつ階段を上っていこうという考え方に変わりました。それでもゴールには達することができますよね。

そんな時、再就職に向けての動きもありました。以前勤めていた医療機器の会社の先輩からポストがあるから会社に戻ってこないかと誘われました。嬉しかったですが、仕事がきちんとできるか、また眠れなくなったらどうしようという不安も大きかったです。ですが、このままで一生を終わりたくない、東京に出たい、このチャンスを生かしたいという気持ちの方が強かった。だから先輩の誘いを受けて2012年の4月末に東京に出て就職をしました。この時の仕事は以前のセールスとは違うマーケティングの仕事でした。

9.仕事を初めてみてどうでしたか?うつ病のことは会社に伝えたのですか?

うつ病の事は、誘ってくれた先輩にだけ伝えて、会社の他の人は知りません。仕事を始めてみて。。。最初はすごくつらかったです。それまで実績が給与に反映されるシステムで仕事をしていたので、そうでなくなった時に、仕事をしている、仕事が面白いとも感じることができませんでした。給与も人間関係も良くなかったです。病院へは2週間に1回通院していたのですが、医師にうつは治らない。趣味とかは絶対しないで安静にしておくように言われていたので、自分は一生このままなんだという絶望というかあきらめのような気持ちで休みの日は家にいるか、パチンコに一人で行くという味気ないものでした。
そんな時、友人に、病院を変えてみたらと言われました。そんなこと考えたこともなかったのですが、土曜日に診察をしている病院を探していってみました。そこでは一転、医師から趣味をどんどんやりましょう。特に自分がかっこいいと思う事をやりましょうと言われました。それならばとウェイクボードを初めてみました。休みに毎週のようにやっていましたが、それがよかったみたいです。それまでは自分を卑下してばかりでしたが、輝けるところがまだあると少しつづ希望が持てたのです。そうするとだんだんと眠れるようになってきて、通院も2週間に1回だったのが、2か月に一回になり、睡眠薬も飲まずに済むようになりました。この医師に出会えたことは自分にとって幸運だったと思います。

10.他にも変化はありましたか?

再就職して少し経った頃、セールスのポジションが空いたのでそちらに来ないかという誘いを受けました。もともとやったことのあるポジションで頑張った分評価される仕事なのでやりたいと思って異動しましたが、数字をクリアしなければならない仕事でもあるので、できるかどうかという不安も強かったです。ですが、経験があることもあって、最初から数字をクリアでき、いける!という自信が持てました。そういえば、この頃、何もかもうまくいかない自分を変えたいと思ってトライアスロンも始めました。目標にしていたレースも完走でき、これも自信につながったと思います。これが2013年の夏ごろの出来事なのですが、元気な頃の自分にもどったと感じました。この頃からは通院も3か月に1回になりました。

11.うつ病を克服をしたいと考えている人に伝えたい事

焦らないことですね。あとは、うつ病で苦しんだことはマイナスではないと自分は考えています。思えば、自分が闘病している間、周りがいつも助けてくれました。厳しいことを言わず見守ってくれた父、苦しい時に話を聞いてくれた友人、自分のわがままで離婚したのにずっと心配して励ましてくれた前の奥さん、仕事のチャンスをくれた先輩。うつ病になる前には気が付かなかった周囲の有難さを初めて身に染みて感じました。うつ病になる前には見えなかったことが見えるようになったことは、うつ病がよくなってから自分のものの見方、考え方の変化につながり、経験が生きているな、無駄ではなかったなと感じてます。

自分は今まで、失敗は負けで絶対にダメなことと考えていましたが、今は、「失敗は成功の母」。うつ病の経験を通して失敗はより充実した人生を送るために必要なことと思うようになりました。

あと、うつ病になったことは決して恥ずかしことではないと、本人にも周りにも理解をしてほしいと思います。以前、トライアスロンの動画を見ていた時に、「トライアスロンは人生に似ている。ゴールに達する人もいればできない人もいる。でも、どちらの結果もスタートラインに立たないと得られないことであり、スタートラインに立ったことこそが評価されることなのだ」という言葉を聞き、胸を打たれました。自分は確かにうつ病になりました。でも、それは夢に向かってチャレンジし、努力した結果で、本来、評価されることなのです。だから、自分も今はうつ病になったことを恥ずかしいと思っていません。チャレンジをした経験を糧に、またそこからスタートすればいいのですから。

12.患者さんがいらっしゃる家族の方に接し方などのアドバイスをお願いいたします。

うつ病は治る病気です。少なくとも、私はそう信じていますし、実際に私はうつ病から回復して社会復帰しております。

家族の方にお伝えしたいのは、まずは焦らないこと。そして接し方としては干渉しないことが大事だと思います。私自身の経験ですが、やはり同居していた親とある程度、距離を保っていた(保ってもらっていた)事が良かったと思います。もちろん、家族としては、はやく良くなって欲しいと願う気持ちは強いでしょうが、あくまで克服には”患者さんのペース”を一定に保つ必要があるかなと。その為、患者さん自身の気持ち、行動を受け入れることが大事。 家族としても、心配が尽きない日々が続く為、辛いとは思いますが、患者さんは自分自身と戦っています。その事を忘れずに、暖かく見守って下さい。