(うつ病体験談)29歳 男性 一般社団法人代表

2014年 7月 1日

ご本人のプロフィール

宮原 直孝(現在29歳)

現職:一般社団法人 いっぱんじん連合代表理事 (前職:倉庫会社 営業部)

病歴:2009年 6月頃〜2011年 1月頃

 

「お前、おかしいから病院に行け」

自ら気付いたのではなく同期入社の友人に、上記時期のある日の昼食中「お前、おかしいから病院に行け」と言われたのがきっかけでした。

その友人とは入社以降親しくなり、所属部署は異なるものの同フロア内で働いていたので、互いが社内に居る際の昼食時は一緒に食事を摂る機会が多かったです。それまで昼食時はくだらないお喋りや冗談を言い合い過ごすことが殆どだったので、突然真顔で言われたその一言により「(あぁ、コイツがこんな真剣に言うってことは、俺はおかしいんだな)」と素直に思い、その日の午後には自席のパソコンで会社最寄りの精神科・心療内科のクリニックを検索し、社内の物陰から電話で診察予約し、その日の退社後にクリニックへ向かいました。そのクリニックで診断書を貰い、翌日には上長に事情を話し休職する運びとなりました。

後日、友人に「なぜ・どこがおかしいと思ったのか?」と聞いたところ、『だって、お前、1時間ある昼休み中、メシも食べずにずっと「帰りたい帰りたい」しか言ってなかったじゃん?』と答えたのでした。休職する直前のことを改めて思い返すと、確かに【食事を摂らなくなっていた】【帰りたい帰りたいと言っていた】のですが、当時はそれがおかしいことだと全く自覚していなかったです。

食事に関して思い返すと、それまではコンビニ弁当1個など一般的な量を食べていたのですが、徐々に食べれなくなっていました。【お弁当のお米を半分残す】→【お弁当のお米とおかずを半分残す】ということが日常的になり、「残すはもったいないなぁ」と思いお弁当からオニギリ2個に変更したのですが、それも【1個しか食べず、もう1個は残す】→【1個だけ買う】→【一口しか食べない】→【セロハンの包装を取らず、1個丸々残す】というようになりました。当時は「(食べても味がしない・砂を噛んでるみたい・消しゴムを噛んでるみたいだなぁ)」「(そもそも、全然お腹が空かないなぁ)」と思い、最終的にはミネラルウォーターを1口2口飲むだけになっていました。

これも後日思い返して気付いたことですが、「帰りたい」と言うようになったのは昼食時に限ったことではなく、他の時間帯であっても自席にて独り言のように呟いていました。また、金曜日の夜8時頃に退社する際も、通常時であれば「この後、友人と食事にでも行こうか」「土日は何して過ごそうか」(当時在籍していた企業では、月〜金出社、土日は休みというカレンダー通りの勤務体系)といったことを考えワクワクするかと思いますが、休職する直前は「あぁ、あと60時間後(月曜の朝)にはまたココに来なくちゃいけないんだ…嫌だ嫌だ嫌だ……」と自然と思うようになっていました。そういった変化に僕自身は無自覚だったのですが、友人は昼食時に一連の様子の変化を目の当たりにしており、つい言葉が出たようです。

 

きっかけは部門移動

きっかけとなった主な原因は2点あるかと思っています。

(1)  部署異動

(2)  対人・ビジネススキルの不足

まず(1)についてですが、もともとは社内とクライアントの間を取り持つサポート部門のような部署に在籍していました。基本的にはメール・電話で連絡を取り合いパソコンでデータ入力を行うといった業務で、殆どの時間を同部署内のスタッフのみと顔を合わす非常にアットホームな雰囲気でした。

しかし、2009年に入った頃、人事発令により営業部に異動となりました。今思うと過剰に反応していただけかもしれませんが、それまでのアットホームな雰囲気と大きく異なる部署の雰囲気という変化に、気持ちが萎縮するようになりました。

その「気持ちの萎縮」の大きな原因として(お話するのが非常に恥ずかしいのですが)、【「営業」という仕事に対する苦手意識】というのが根本としてありました。昔から何故か対人の仕事に大きな抵抗感・苦手意識があり、学生時代からアルバイトも接客業などの業種を避けていたので、営業に異動するという話が出ても・そして実際に異動してからも、「自分が営業の人間である」ということを現実として受け止めきれていませんでした。「僕が営業の仕事なんかするはずがない・出来るはずがないじゃないか」と思い込んでいたのです。 長くなりましたが、当時はそもそも営業部に在籍していることがストレスに感じていたのだと思います。

(2)について、(1)とも関連しているのですが、とにかく僕には入社3年目程度の社会人としてのスキルがまるで足りていなかったのだと思います。そして、ビジネススキルに限らず、対人スキルが非常に偏っている点も同時に原因の1つとして大きかったです。

学生時代まで、それなりに部活動なども行いつつ高校・大学と現役で進学し、大学も特に大きな問題も起こらず留年などせず4年で卒業し、また就職活動も運良く前職の企業に内定され、【自分は特別秀でていないけど、人並みには物事を対処出来るんじゃないか?】と思い込んでいました。しかし、実際はそんなことは全くなく、ただ運が良かった・周囲の環境に恵まれていたという観点が抜け落ちていたと今では思っています。

営業部の前に在籍していたサポート部門では、先ほども述べた通り非常にアットホームな雰囲気であり、そしてとても細やかに業務を指導してもらっていましたし、ミスをしても実務的・精神的にフォローしてもらっていました。そんな恵まれた環境に居た為にあまり大きなストレスを感じず、また、自分が仕事が出来ない人間だとも愚鈍なことに自覚足り得なかったのだと思います。

(1)でもお話した通り、営業部に異動したのですが、そのタイミングで大きな組織再編がありました。そのため、部署全体が非常にバタバタとしており、先輩社員方も一同に多少混乱していました。そんな中、まるで能動的に動けない僕は基本中の基本である報・連・相も物怖じして出来ず、非常に簡単な業務も滞り、ミスも発生し、余計に混乱を招くという悪循環へとすぐに嵌っていきました。また、以前の部署にいる頃までは全く気付かなかったのですが、どうやら僕は【年上の男性】【スーツ姿】【会議室】といったキーワードに非常に強い緊張感を覚えるようで、社内の会議や営業活動などではまともに口を開いて声を出すことも出来ずにストレスを感じていました。

前職の企業でのことをつらつらと述べてきましたので誤解を招くかと思いますが、その企業は決して巷でブラック企業と言われるような労働環境ではなく、むしろ世間一般の感覚では立派なホワイト企業に属される分類だと思います。パワハラ・セクハラなども僕は受けたわけではありません。ですが、そんな環境であるにも関わらず自分は休職に至ってしまったということが、後々治療期間中も自分で自分を攻める種となっていきました。

強く印象に残っているエピソード3つ

とても強く残っているエピソードが3つほどありますので、書かせて頂きます。

(1)休職期間中、1〜2ヶ月に一度のペースで人事部の方と面談をしていました。その面談方法は、会社の応接室などではなく僕の住んでいた最寄りの駅構内にあるファミレスに、役職が上の方がわざわざ足を運んでくれていました。また、時間帯も体調が比較的良い場合が多い夕方頃であり、形式ばった面談とは言えないような穏やかな空気のなかで1対1で互いの近況報告をするような時間でした。今考えると、とても恵まれた親切丁寧な対応だったと思いますが、それでも当時の僕は、「外出しなくてはいけないこと」「会話をしなくてはいけないこと」「この人に話をしたところで症状が良くなるわけでもないし、そもそも僕のこの苦しみなんか分かってくれないじゃないか」といったことを、心の底では思っており、あまり歓迎できない時間でした。

何度目かの面談で、ふと【処方されている薬】の話になりました。僕がいくつか薬の名前を挙げると、その方は「あ〜、パキシルな! …サインバルタってのは知らないなぁ〜」と自然に相づちを打ったのです。そして、「いや〜、俺も◯◯歳から3年位うつ病でさぁ。休職はしなかったんだけど、会社行きながらも普通に通院して薬飲んでたんだよ。」「その頃週末は殆ど布団の中で過ごしてたからさぁ、家のなかで宮原がどんな感じで過ごしてるのか、何となく分かるよ(笑)」と気さくに続けたのです。それを聞いた瞬間、涙が自然と流れて、止まらなくなりました。それまでこの時間を心のどこかで面倒に思っていたことへの罪悪感や自分に対する情けなさ、この方の優しさや接し方が「僕の気持ちをこの人は本当に分かってくれる」という安心感や嬉しさ、色んな感情がごちゃまぜでしたが、それまで真っ暗な部屋で布団を頭から被りながら泣いていた時とは全く違う、治療期間中の数少ない気持ちの良い涙でした。

2つ目・3つ目は、【異変に気付いたきっかけ】でお話した友人とはまた別の、同期入社の友人とのエピソードです。クリニックで出された診断書を上長に提出し休職することが決まったその日、夕方過ぎに自宅最寄りの駅に着いたタイミングでその友人から電話がかかってきました。友人は人事部に在籍していたので、僕が休職することになったことがすぐ耳に入ったらしく、心配して電話をくれたのです。

『休職するんだって?』という問いに「うん…とりあえず明日から、会社行かないんだ…」と、自分の情けなさを感じながらも答えたところ、『良かったじゃん!頑張ったね〜!! いや、偉いよ。うん。』と、その友人は返してきました。

この、【休むことを褒められる】という出来事が今でもとても強く心に残っています。 2.でもお話した通り、前日クリニックに行くまで僕は自分の症状がおかしいと自覚していませんでした。しかし、休職することが決まったとき僕の心は「(あぁ…とりあえず、これで明日から会社に行かなくていいんだ…)」という安堵感が大きく占めていました。でも、やはり仕事を投げ出して突然休職することへの罪悪感や、【会社に行かなくなる】という一般的なレールを外れることへの不安感もありました。そんなモヤモヤがあるなかで、手放しで『良かったじゃん!』『エラいじゃん!』『頑張ったね〜!』と言ってもらえたことが、衝撃的でもあり、とても嬉しい一言でもありました。それから何年か経って、この話を本人にしても『え〜、そんなこと言ったっけ?(笑)』と覚えてない様子でしたが、僕はこの時の電話をこれからも忘れないでしょう。

最後、3つ目ですが、これは1つ目・2つ目の様な大きな感情が生まれたやり取りではありません。ただ、後々になってジワジワと効いてくるエピソードです。

休職して半年ほど経った正月のことでした。2つ目のエピソードの友人が、久々に電話をかけてきました。何かと思ったら、『今、友達と初詣行って、この後は中野ブロードウェイにでも行こうって話してるんだけどさ、正月でもお店やってるか知ってる?っていうか、調べてくんない?』という内容でした。その頃はまだスマホが広く浸透していなかったので、外出先でそういったことを調べるのは中々難しく、家にいるであろう僕に電話をしてきたようです。その電話の時は症状が落ち着いていて調子が良かったので、パソコンで検索して分かったことを友人に電話で伝えました。『そっかー。わかった〜、ありがとね。んじゃ』とだけ言って電話を切った友人。

ただこれだけのエピソードなのですが、【(非常に些細なことだけど)人の役に立てた】、そして【病気以前と同様の「普通な感じ」で接してくれた】ということの嬉しさがジワジワとこみ上げてきて、今でも時折思い出します。

 

同じ経験をした方に伝えたいことと聞きたい事

全員ではないかもしれませんが、なかには「病気になったことで、多くのものを失ってしまった」と感じている方がいるかと思います。それらは、人によって経歴・人間関係・収入・お金・時間・体力・評価など様々だと思います。体調が悪い最中、もしくは克服した後でも、「何で自分がこんなこと経験しなくちゃいけないんだ」「何がいけなかったんだ」「どうしてこうなった」「いつからおかしくなった」「どうすればよかったんだ」等といった気持ちが、イラつきや哀しみといった感情と共に頭のなかを巡ることもあるかと思います。

そして、「全くの無駄な時間だった。人生を無駄にしてしまった」という気持ちを後悔の念と共にずっと抱いてる方もいるかもしれません。僕は、決してそれが間違ってるだとか、そんな風に考えてはいけないだとかは思いません。貴方がそう思うのなら、そうなんだと思います。

ただ、これから先、貴方がそう感じながらも体験した話を尋ねてくる人が現れるかもしれません。それは、揶揄したり皮肉るためではなく現在同じような状況になっている方だったり身近な人がそうなっており困っている方だったりします。その時は、綺麗事ではなく、貴方が経験したことを素直に伝えてあげてください。貴方がクソだと思った経験でも、きっとその人は、真剣に耳を傾けると思います。

聞きたい事は、僕は以前の企業の人との人間関係を一部を除いて殆ど切ってしまいました。本来、お世話になった方や気遣ってくれた方に病気を克服した後にでも連絡すれば良かったのでしょうが、休職したまま復職することなく退職したことで、「どう思われてるのか」「何て言われるのか」と怖くなり、逃げ出すように避けてしまいました。今更また連絡を取りたいと思ったわけではないのですが、僕のように企業を辞めてから前の職場の方に連絡した場合、最初にどんなやり取りをしたか・どんなことを言われたのか、少し気になります。

 

接し方に悩んでいる家族へのアドバイス

難しいことであるのは百も承知なのですが、まずご家族の変化に狼狽えないであげてください。ご家族に対しての接し方として、腫れ物を触るような態度・表情でしないであげてください。「これから、どうなってしまうんだろう?」「どういう接し方がいいんだろう?」「何をしてあげればいいんだろう?」と、頭の中は?ばかりでパニックだと思います。ただ、難しいことに、当人はその空気を感じて「(自分のせいで困らせている…)」「(自分のせいで気を使わせている…)」と思い、それを種にネガティブのループに入りこみ苦しんでしまう場合があります。ご自身のペースで構いません。「うつ病は、病気なんだよね」ということを少しずつ少しずつ、徐々にで良いので理解して頂ければと思います。例えば、風邪をひいてる時は熱も出るし、くしゃみや咳が止まらないです。何故なら、それが風邪の諸症状だからです。

うつ病の症状は、昼間でも活動出来ませんしそもそも起き上がれなかったりします。すぐに「死にたい」と言ったりしますし、すぐにメソメソと泣きます。それがうつ病の症状として現れることです。決して、ご家族が自分の意思でそういった言動をとっているんでは無いと言うことを理解してあげてください。

また、全てをご家族だけでカバーしようと感じないでください。お伝えしたいニュアンスが非常に難しいのですが、ご家族の力は万能ではないと僕は思っています。ご家族の協力だけで症状が良くなるわけではありません。体調が良くなるための様々な運やタイミングや要素のなかの1つとして「ご家族の理解・協力」という部分があると思っています。しかし、1要素ではありますが、それはとっても重要な要素であることは変わりません。ご家族の日々の接し方・サポートによって、最悪の結果を免れたり、当人がより良い状態になる促進剤代わりとなるとも思っています。

なので、「こんなにしてあげてるのに、何で良くならないんだ」「自分の何が至らないんだ」と思うことはあっても、ご自身を責めたりしないでください。 すみません、すごく勝手なことを言っていると思いつつ、お伝えさせて頂きます。

 

なぜ法人を作ったのか

休職していた僕は、社内規定の休職期間満了により退職しました。その後、体調が良くなった僕は転職活動を開始しましたが、なかなか就職先は決まりませんでした。

うつ病により休職し退職したという事実を隠して転職活動を行っていましたが、時期がちょうど東北の大震災が起こった直後ということもあり「なぜこの時期に退職したのか」「転職するのなら、なぜ在職中に転職活動を行わなかったのか」という、ごく当たり前の質問を度々されました。しかし、社会から長期間離れていたので頭が働いていなかったのか、それらについての返答も用意していなかったのです。

気付けば早くも数ヶ月が経っていました。無職期間が延び徐々に転職活動のハードルも上がると同時に、僕のテンションは下がる一方でした。結果的に、あまり活発に転職活動もしなくなっていました。いえ、最終的には転職活動をやめていました。転職活動を始めてから半年以上経った頃、(今思えば現実逃避であったと思いますが)ふと思ったのです。「1年半の期間、うつ病で苦しんだんだから、まずは克服して体調が良くなったお祝いに楽しいこと・好きなこと・やりたいことをやろう」と。

そして、「人生の100のリスト」を真似しようと思ったのです。「人生の100のリスト」とは、ロバート・ハリスという作家が昔、とある雑誌で連載していた記事のタイトルです。その後、書籍化もされました。要は、『人生で死ぬまでにやり遂げたいことを100個挙げてリスト化し、実際に体験したらチェックしていく』というもので、著者がリストの中から1つずつ体験していった事柄についての懐古談です。といっても、僕は厳密に100個のリストは作りませんでした。ノートの切れ端に思いついたものを書いていったのですが、せいぜい10個〜20個程度だったかと思います。

その際に、1〜3番目くらいにすぐ出て来たのが『会社を作りたい』というものでした。

僕は雑誌・Web・テレビ番組などでインタビューを見るのが好きなのですが、「大体有名な人は自分の会社を持っているな」「会社を作ったら、インタビューを受けるような何か面白いことが起こるんじゃないか」と思ったのです。冷静に考えれば起業して何かを成し遂げたから取材されるのであり、会社を作っただけでは何の意味もないのですが、とにかく当時の僕は「会社を作ったら、何か面白いことが起こるんじゃないか」と思い、深く考えずに実際に法人を設立してみることにしました。

僕が設立した一般社団法人という法人格は、設立時社員が2名必要でした。そこで、僕の異変に気付き病院へ行くことを勧めてくれた同期の友人に声をかけました。彼は当時まだ企業に在籍していましたが、彼なりに様々な事情があり、ちょうど退職して転職するか独立するか考えていたタイミングだったので、この提案に興味を示してくれて、話に乗ってくれました。

 

<どんな活動をしているか>

現在行っている活動は主に3つです。なるべく敷居の低い、特別なスキルを必要としない活動を行っています。

(1)  代表デリバリーサービス 〜心が弱った時に都合の良い男〜

http://backyardsomething.blog.fc2.com/blog-entry-57.html

これは、『「代表」(=「僕」)を「デリバリー」(=「届ける」)ことで、僕に出来ることであれば何でもします』というサービスです。

始めたキッカケとしては、治療中に僕自身「気を使わない・疲れない・緊張しない・ユルい感じで人と会いたい」「こういうことをしてくれる人がいればいいのに」と思ったことが残っていたからです。

残念ながら僕は精神疾患やストレスケアなどについて、専門的な知識などは今持ち合わせいません。ただ、治療中などに経験したことであれば何でもお話できますし、「うつ病の経験があります」という人にだからこそ、何か言いたい・聞いてみたいと思う方もいるのではと思い、始めました。

(2)  深夜徘徊イベント

http://blog.peatix.com/peatixevent/eventsalon03-02.html

東京都内もしくは近郊エリア内を深夜帯に集団でのんびり歩くイベントになります。

【深夜徘徊】というイベント名ですので怪しげに思われる場合もありますが、実際は僕達が決めたコースを引率して歩いていく【深夜帯のウォーキングイベント】という表現の方が実際の内容に近いかと思われます。

このイベントを始めた主なキッカケは、上記の【代表デリバリーサービス】以外にも何かやろうと思い色々考えたのですが特に何も思い浮かばず、「イベントならすぐに出来るんじゃないかな?」ということで、とりあえずイベントを主催してみようと思いました。ただ、イベントを開催するには、何かしら主催者としてイベント内容に関しての経験や知識が人並み以上にあるものだと感じ、それが僕の場合は「深夜徘徊」だと思ったのです。

僕は大学進学と共に地方から上京してきたのですが、ふとしたキッカケで東京の深夜を散歩する楽しみにハマり、ずっと夜な夜な一人で歩いていました。なので、「深夜徘徊についてなら、人並み以上には経験も意欲もあるハズ」と思い、始めました。このイベントは注目され記事にもしていただきました。(以下URL内)

夜の街をみんなでブラブラ!? ナゾすぎる“深夜徘徊イベント”とは

(3)  ダベる活動

http://dabetimes.com

ダベる(=駄弁る)とは、【とりとめもないお喋り】のことです。要は雑談です。

東京都内をエリアに、「◯月◯日、△時〜□時まで××にいるので、お好きな時間に来て、僕とダベってください」という告知をしてダベるお相手をさせて頂く、という活動を週に1〜2回程度のペースで行ってます。

この活動を始めたのは、ふと「僕はダベってる時間・空間が好きだなぁ」「そういう場にいると、居心地が良いなぁ」と思ったことがキッカケになります。

上記3つはそれぞれ何となく「やりたいと思った」「元々やっていた」「好きだから」というキッカケであり、あまりそれ以上深く考えずに始めました。しかし、結果的に何かしら人との交流を生んだり、ストレスを一瞬だけ・ほんの僅かは減らせるような内容になっている側面があり、うつ病になった経験が反映されているのだと思います。

 

 

宮原 直孝:一般社団法人 いっぱんじん連合代表理事miyahara